わたしのワイマール訪問記

はじめに
　最近、テレビで放送された「ゲーテが愛した街ワイマール」という旅番組を見ました。よい内容でしたが、私の記憶にあるワイマールの印象とはいくらか違っています。旅の景色は一人ひとりの人間がそれぞれの心の中に受け止めて行くもののようです
　改めて自分のワイマール訪問記を思い出すままに書き留めてみます。

１． ワイマール？ ヴァイマール？ ワイマル？

　日本で一般にワイマールと呼ばれている街Weimarの��読み�≠ﾉは振れがあるようです。
　独和辞典で Weimar をひくと、ヴァイマル、ワイマルの二つの読み方（小学館独和大辞典、クラウン独和辞典とも）が記されています。日本ではワイマール、ワイマル、ヴァイマール、ヴァイマルという表記を目にしますが、��マル�≠���マール�≠ﾆ伸ばすのは日本人の癖かも知れません。
　ドイツ文学者の小塩節（おしお たかし）先生が著書「旅人の夜の歌：ゲーテとワイマル」（岩波書店）の書名に表記されている「ワイマル」が正しいように思われますが、ここでは書きなれたワイマールでお話を進めます。

２． ワイマールとの初対面

　初めてドイツに出掛けたのは1997年の10月、会社の休暇制度を利用した1週間余りの夫婦旅でした。ミュンヘンで入国した後、ロマンチック街道をバスで移動してフランクフルトから帰国する前に、大バッハの足跡を訪ねてライプツィヒへの日帰り旅をしました。
　フランクフルト発ドレスデン行きの急行列車にはIC655 Johann Sebastian Bach という名前が書かれていたのを覚えています。つまり「バッハ号」ですね。そのバッハが生まれたアイゼナハのあたりから列車は旧東ドイツに入ります。東西ドイツが統合された1990年から間もない時でしたが、旧東ドイツに入ると景色がモノクロに変わったような印象を受けました。エアフルトの次に停車したワイマールでは列車の中からホームの駅名を写しただけで、そのまま東のライプツィヒへ向かいました。これがワイマールとの初対面でした。

３． 最初のワイマール訪問

　ワイマールを訪ねたのはそれから15年後の2012年でした。毎年6月に開催されている「バッハ音楽祭」のチケットを数枚買って一人でライプツィヒへ出かけた時です。初日と二日目の演奏を聴いた後で7日間、ドレスデン、アイゼナハ、エアフルトを巡って、最終日の演奏を聴くためにライプツィヒへ戻るその日に、ワイマール駅で降りました。これが私のワイマール訪問第一歩です。前日に宿泊したエアフルトから列車で15分、朝の9時前にワイマールで降りて、駅前に待っていたタクシーに「ゲーテハウスへ行きたいのですが」と告げると、運転手さんはニッコリして、運転席の横に座らせてくれました。「今日はいい天気ですね」というと、運転手は陽気に鼻歌を唄いはじめました。

　ゲーテハウスでは英語説明フォンを借りて各部屋を見て回りました。最後にゲーテが亡くなった寝室を見たとき、ゲーテが亡くなるときの言葉として伝わっている有名な「もっと光を！」を思い出しました。
　1時間ほどかけてゲーテハウスを見た後、改めてガイドブックを手にワイマールの街を歩き始めました。先ずは国民劇場前のゲーテとシラーの二人立ちの像を眺め、町の中心部、マルクト広場へ向かう途中、偶然、シラーハウスの前を通りかかって立ち寄りました。これがシラーとの初対面です。シラーハウスでは書斎の机に置かれた「ヴィルヘルム・テル」の原稿を記憶しています。
　その後、王宮博物館を見てから広場に戻る所で、バッハの像に出会いました。私にとってのワイマールはゲーテよりも先に、バッハの住んだ町という想いが強かったので、近くの建物の壁に掲げられた、かつてバッハ一家が住んだことを示すプレートを見付けホッとして、広場に面したエレファントホテル前のテラス席でお昼を食べて駅に向かいました。
　ご存知の方もおられるでしょうが、トーマス・マンの作品「ワイマルのロッテ」の舞台となっているのがこのエレファントホテルです。

４． 二度目のワイマールはゲーテ公園散策

　二度目のワイマール訪問はその翌年、2013年にアイゼナハのヴァルトブルグ城で行われたワ-グナーの歌劇「タンホイザー」を見るために夫婦で出かけた旅の時です。アイゼナハに入る前にチューリンゲンの各地を巡る中で、ワイマールのゲーテ公園に面したホテルに二泊しました。前年の一人旅ではゲーテ公園の入口を覗いただけで心残りがありましたが、この時はゲーテ公園に隣接したホテルに泊まって、朝からゆっくり園内を歩き、公園の奥の方にあるガルテンハウス（ゲーテ山荘：ゲーテがワイマール公から与えられた）に入りました。

　山荘の周りにはゲーテが好んだと伝えられるさまざまな植物が植えられており、書斎として使われた二階の部屋の隅に置かれたゲーテが使用したと伝えられる立ち机と椅子をしみじみと眺めながら、窓の外の景色を楽しみました。

　町の広場に近いゲーテハウスのすぐ横には、ゲーテのお気に入りであった「白鳥亭」という居酒屋風レストランがあります。前回立ち寄ったエレファントホテルのフロントで白鳥亭での夕食を予約できたので、夕方入店すると良い席に案内されました。「白鳥鍋」という店の名物料理を注文し、ビールが来たのでドイツ語でZum Wohl!��乾杯�≠ﾆいうと、ウェイターがすかさず日本語で「カンパイ！」と言ったので、まわりのお客さんもこちらへ向かってグラスを挙げてくれました。見も知らない異国のお店で思いがけないもてなしを受けたことが忘れられません。
　この時のワイマールで覚えているのは、昼過ぎの列車に乗るためにホテルで呼んでもらったタクシーの運転手が車内で写真集を取り出して1945年のワイマール市内の惨状を見せ、当時廃墟となっていた地区を通りながらその後の復興を語ってくれたことです。

５． 三度目のワイマールとイエーナ訪問

　三回目のワイマール訪問は2018年の6月初めでした。5月下旬から二週間余り、フランクフルトからゲーテ街道を東のドレスデンまで行き、フランクフルトへ戻る途中にワイマール駅前のホテルに2泊しました。
　昼前に到着したホテルに荷物を預けて、イエーナへの日帰り旅をしました。イエーナはゲーテと親交のあったシラーがワイマールへ移る前、教職に就いていた大学のある町です。ワイマールから鉄道で20分ほどのイエーナで、降りた駅はJena West（イエーナ西駅）です。駅からタクシーに乗り市庁舎広場へ出ました。タクシーが旧市街に近づくと歩道を歩く若者が増えてきました。「若い人が多いですね、学生さんですか？」と訊くとドライバーは「そうです。イエーナ大学の学生です」と教えてくれました。案内所で地図をもらって、近くの教会を見た後で、広場に面したレストランで昼食をとり、シラーの住んだガルテンハウスに入りました。

　博物館になっているハウス内を見学してから、庭を散策していると、ゲーテとシラーが語り合ったという石のテーブルを見つけることが出来ました。「ここにシラーが住んでいた。この古い石のテーブルで、私たちはしばしば腰を掛けて、多くの良きこと大事なことを互いに語り合ったものである。ゲーテ：エッカーマンへの話　1827年」と書かれた碑が置かれています。シラーがワイマールに移って間もなく亡くなったのは1805年でした、この言葉はその後1832年まで生きたゲーテ晩年の談話を、知遇を受けたヨハン・ペーター・エッカーマンが書き取った「ゲーテとの対話」から採られています。
　三度目のワイマールではありましたが、これまでも訪ねた国民劇場前の二人像を見て、ゲーテハウスの庭園を眺め、広場のレストランで食事をして、ゲーテ公園を散策するというお決まりのコースは自分の中にあるイメージと照らし合わせながら景色の味わいを確認する落ち着いた時間です。この時初めて足を運んだのは街の外周に近いところにあるヘルダー教会でした。ヘルダーはゲーテと親交があり、招きに応じてワイマールに移住した聖職者です。教会の中には二人にゆかりの記念物が置かれており、クラーナハの描いた祭壇画や洗礼者ヨハネ、ルターの像があるのを眺めました。

　最後に、前から気になっていた、広場のお店「銀杏博物館」を訪ねました。お店の前には鉢植えの銀杏の苗木がたくさん置かれています。ワイマールと銀杏の関係については、以前お聞きした鳥越文藏先生（早大名誉教授）のお話が耳に残っています。元禄時代に浄瑠璃本を日本から持ち帰ったエンゲルベルト・ケンパー（Engelbert Kaemper）というドイツ人医師がいました。そのケンパー先生が銀杏にもかかわりを持っていると聞いていたので、ひと通りのお土産を買った後でお店の人に「ケンパーという人が17世紀に日本からドイツに銀杏を持ち帰ったというのは本当ですか？」と尋ねると、「よくご存知ですね。その通りです」と言って、そばに置かれていた「The Ginkgo Myth」（銀杏の話）というミニ本を開いて該当の部分を示してくれました。

　銀杏を愛したゲーテが65歳の時、ある女性に贈った「詩」が銀杏博物館のパンフレットに載っています
　　　　Ginkgo Biloba「イチョウの葉」　　Johann Wolfgang von Goethe
　　　　　東の国からはるばると
　　　　　移し植えられたこの葉には
　　　　　心ある人をよろこばす
　　　　　ひそやかな意味がかくれています
　　　　　　　　もともとこれは一枚の葉が
　　　　　　　　二つに分かれたものでしょうか
　　　　　　　　それとも二枚がむすばれ合って
　　　　　　　　ひとつに見えるものなのでしょうか
　　　　　この問いに答えようとして　
　　　　　その意味が　わかりました
　　　　　私の歌にお感じになりませんか
　　　　　私はひとり　でもあなたとふたりでいるのだと　　（小塩 節訳）

　粋な言葉がつづられたゲーテの詩に出会えたところで、お開きにします。